今からでも間に合う「西郷どん」 あらすじ!!

「西郷どん」

生い立ち〜徳川家後継者対立

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どうも、皆さんこんにちは!

 

休日ブログからお送りいたします!

 

本日は、今話題の大河ドラマ「西郷どん」の前半を簡単に分かりやすくお伝えしたいと思います。

 

・生い立ち〜徳川家後継者対立

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今から約190年も遡ること1828年薩摩国(鹿児島県)の下加治屋町という小さな小さな町で西郷吉兵衛の子である西郷小吉(後の西郷隆盛)が誕生

 

 

生まれつき体が弱かったため、母の満佐からの愛情を受け、カツオ節を毎日食べながらスクスクと大きく成長していきます

 

また、このときの小吉は郷中教育(薩摩の古来から伝わる上の者は下の者に勉学を教える教育)で評判があり、

 

あるとき、小吉は先輩の方と喧嘩を引き起こしてしまい、右腕内側の神経を刀で切られてしまったため、剣の道が閉ざされ、勉学の道へ進む他ならなくなります

 

その後、実直に勉学に慎み、18歳になった小吉は郡方書役助に命じられ、農民・百姓たちの年貢の管理をしていくのですが、

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   島津斉彬

  (画像:Wikipedia)

 

このときの日本は開国しないと異国に侵略・植民地化されてしまうと一大事なことが考えられていました。その中でも、将来の日本をよ〜く見据えていた一人として後の薩摩藩主になる、あの人生の師の島津斉彬と運命的というべきか必然的に出会うことになります

 

この頃、あの郡方書役助に任命された18歳の時から2年の歳月が経ち、20歳のときに自身の名を西郷小吉から西郷吉之助と改名します

 

また、郡方書役助で農民・百姓の苦しい生活を目の当たりとして、ついに吉之助は島津斉彬がいる城へと「農政の改革」についての意見書を提出したのでした

この意見書に書かれていた内容には斉彬自身も非常に驚き、上・下の身分関係なく下級武士である吉之助を抜擢したのです。ここから、吉之助も斉彬を慕うようになります。

 

是非、このような師に出会いたいものですね〜

 

さらに、このときの薩摩では異国の問題だけでなく次期藩主を誰にするかの討論も日々勃発していました。斉彬は父である斉興と正室から生まれた正統派な子であったが、実は斉興と斉彬は仲が良くありませんでした。そこで斉興は側室のお由良との子である島津久光を藩主として推します。

 

厳しい状況ですよね〜

 

しかし、藩主になりたい斉彬は斉興の時代に行っていた琉球との密貿易の件を皮切りに幕府へと訴えかけます。

 

父 vs 息子  恐ろしいです〜

 

その結果、斉彬に軍配が上がります。そうです、斉興は失脚され藩主としての座を降ろされ、ようやく斉彬が実権を握ることとなり、吉之助も大いに喜んだと伝えられています。

 

早速、斉彬は吉之助を「御庭方」として取り立て、建前上はお庭の手入れとし、裏では各藩の内情を探る役目を命じられたのです。この当時、幕府側でも次期将軍は誰がふさわしいかを議論しておりました。斉彬にとって将軍である徳川定家の次は徳川御三家の水戸の一橋慶喜を推挙するような謀を吉之助にも委ね、福井藩士の橋本左内とともに活動するのです。

 

でも、この活動を妨げる人がいました。

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    井伊直弼

  (画像:Wikipedia)

 

あの井伊直弼です。聞いたことがありますよね。

 

彦根藩主である井伊直弼紀州藩主である徳川慶福(後の徳川家茂)を推していき、薩摩の悪口を叩いて、なんとかして紀州の方に好感を持たせる手口を使っていきました。

 

今後どうなるのか気になりますね〜